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2007年6月16日 (土)

やるせない気持ち

今日、もうひとつの病院に、2ヶ月ぶりの受診に行ってきました。

去年までは予約時間に行けば、

待ち時間もさほどかからなかったのですが、

今年に入ってからは、予約時間に行っても

1~2時間は待つようになっています。

私の訴えている症状について、

同様の症状の方々が集まる有志の会のHPがあって、

(私はその会には加入していません。←特に理由なし)

そこにある、会員でなくても見れるとあるページに

最近起きている医療機関と患者とのトラブルについて呼びかけがありました。

同様の症状を看ましょうと手を挙げていた医療機関や医師が、

最近おきるトラブルを理由に、手を引く動きが出始めているようです。

トラブルの内容を聞くと、

手を引く動きをする医療機関や医師を責める事はできないと私は思いました。

前に進み始めている大切なときに、こんなことが起きるのか。

それとも、前に進みはじめたから表にあぶりだされた問題なのか。

私はこれまで、

同様の症状を抱えている方の“やり場のないつらい思い”というのは、

器質的な所見が見つからない慢性の疼痛で、

疼痛の部分を受け取られず「異常なし」という結果だけ受け取って

数々の病院ショッピングを繰り返しているうちにどんどん悪化するという、

自分が経験して感じた物と同質のものだと思っていましたが、

どうも、違うことがトラブル発生の元になってるように感じます。

痛みは、人格を変えてしまいます。

私自身も、それを実感し、怖かったです。

そして、気付けば、疼痛に“依存”するようになってたと思います。

でも、

事実が分からないことには、「異常なし」という結果を見せる医師を罵倒したり

非難したりしても、全く意味がないどころか、問題を複雑にするだけ。

そう思って、

私の場合は症状が悪化していった時、一番よくなかった時、

今の医師に会うまで、「痛い」という訴えを受け取ってくれる環境は

医療にも生活にも職場になく、

感情がおさえきれずに病院や駅のトイレで泣いたこともありましたが、

対面している医師に対して感情をぶつけることは絶対にしませんでした。

そんなことをしたところで、何か変わるのか。

問題を複雑にするという意味でしか変わらないと思いました。

結果、私は幸運だったんだとも思います。

除外診断を受けに受けきったから、今の医師と会えたのかも知れないからです。

同じ症状を持つ方の集まる自主団体に、私個人が求めていたのは、

「事実」と「現在対応可能」な情報と、

症状をまず“受容”できる姿勢を持つための勇気を、

交流を通して持てる場 だったのですが、

なにか、よくない方へ向かっている気がしてなりません。

神経性難病や悪性腫瘍などの「患者の会」がよくありますが、

以前に、ある疾患を患った方が、

「傷をなめあうような会には入りたくない」とおっしゃったのを聞かされました。

それを聞いたとき、私は素直にその方の気持ちに疑問を持ったのですが、

今になって、その方がおっしゃられたのは、

今の私の気持ちと似たものなのかもと、感じています。

何か、ボタンの掛け違ったところを無視して無理やり襟元を合わそうとしているとか、

チャックが途中よれてしまっているのにムリに上げてしまってチャックが壊れかけのような感じがして、

その影響のひとつの小さな現象として、

病院での待ち時間が突然長くなっているのにも現れているように思えて、

とても、やるせない気持ちを感じています。

ボタンの掛け違いを正さないと、襟元は合わない…。

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